夢の行方

高校生になると、姉が見ていたテレビ番組『ファッション通信』に刺激を受けて、町の本屋さんで片っ端からファッション誌を読むようになります。ハイファッションのビジュアルとかを見て、こういう世界があるんだとものすごく驚きました。このファッション誌はいったい誰がどんなふうに作っているんだろうと、雑誌をひっくり返して裏を見ると、全部の住所に東京都って書いてある。「東京に行けばこれがあるったい」「東京に行かんば」と、頭の中は東京への憧れでもういっぱい! それからは反対する両親を説得してなんとか上京し、服飾の学校に入学しました。

洋服の勉強をしながら、デザイナーのアシスタントをしたり、大好きなブランドで働いたりもできたんですけど、だんだん自分は洋服を作る人間ではないのかもしれないと思い始めて…。東京にいる意味もわからなくなっていったのです。洋服はすごく好きなんだけど、スピードが速いっていうか、次のシーズンが来ると値段を下げて売るのがどうしても不思議に思えて。世の中にこれだけものがあるのに、またものを作り続けるのが不健康な気もしていました。でも、ものは好きだし物欲もあるし…。好きな世界だからこそ知れば知るほど疑問がどんどんわいて、葛藤も生まれたのですね。自分もなにか作りたい、でも私なんかが作ってゴミになったら地球に申し訳ない、そんなことを考えてぐるぐる悩んでいました。そうこうしているうちに娘を産んで、シングルマザーに。自分のしたいことよりも、まず生活しなくちゃという状態になったのです。それまでは自分の人生がいちばん大事だったけど、子どもが生まれたらいちばんが子ども、価値観がひっくり返りました。

幼いいろは(娘)とふたり、区の母子寮に入って派遣で受付のアルバイトをずっとしていたんですが、だんだん自分が生きているっていう感覚がないような苦しい気持ちになっていきました。すごく不安だったけど、絶対ここでちゃんと考えないと、このままおばあちゃんになるのは嫌だ。それで毎日図書館に通って、自分が心から求めている仕事をやるにはどうしたらいいか、この先の人生をどう生きたいのか、ずっとずっと考えました。このままでは自分の人生を愛せない、もっと愛せる人生がいい。それで、なにをするかわからないけど独立しよう! そう思って無職になりました(笑)。

お勤めが無理な性格だから、二度と履歴書は書かない(何度も面接で落ちました…)、それから子どもが「ただいま」と帰ったときに、「おかえり」と言える環境を作りたい。来る日も来る日もなにをしたいか、なにができるかをノートに書き続けました。自分で自分の棚卸しをしていたのだと思います。お金もない、コネもない、なにもないけどあるのは、すごいやる気、絵を描きたい気持ち、学生のときから持っている工業用ミシン、裁断バサミ、それから健康な体。なにができるか自分なりに考え抜いて、子どものアクセサリーを作ったり、絵本を描いたりして見てもらったけれど、どれもこれもうまくいかなくて途方に暮れました。

ある日の夕方、いろはの保育園に迎えに行こうと玄関に立ったら、何年か前に白い日傘に自分で絵を描いたものが、ぽつんと置き忘れていました。これかもしれない、これかもしれない…、日傘なら布とミシンが使えて絵も描ける、目の前の日傘にすがるような気持ちでした。