この世にたった1本の傘

世の中に欲しい傘がないなあと思って、白地に少し花の刺しゅうがしてある市販の傘に、自分で絵を描いた小さな日傘。狭い玄関でその日傘をひょっこり見つけたところから、私の日傘作りは始まりました。まず手持ちの傘を分解して、もう一度組み立てる作業を何度も何度も繰り返し、傘がどういう作りかを調べるところからスタート。

当時はパソコンも持っていなかったので、母子寮の事務室でタウンページを借り、傘屋を検索して傘の骨やハンドルをどうやったら買えるのか、東京中の傘屋に1軒ずつ電話して根気よく聞き続けました。その中で、台東区入谷にある傘屋のおじさんが、来てもいいよと言ってくれたのです。そこには企業が修理用に残しておいた傘骨やハンドルが捨てずに取ってあって、少しずつ分けてもらうようになりました。昔のハンドルやパーツがものすごく格好よくて、きれいで感動したり。

どうして今はこういうもの作りができないのだろうと、残念に思う気持ちもふつふつとわいてきました。今の傘は部品も中国製が主流で、何10本と同じものを作らなくてはなりません。逆に、私はひとりだからこそ1本ずつ全部違う傘を作ることができる。一点物で布のところには絵を描ける日傘…、やっと自分の居場所を見つけた気がしました。

傘作りを始めると、傘屋のおじさんが職人さんを紹介してくれたり、本当にいろいろな人に助けてもらいました。作った傘が20本、30本とまとまったところで、近所にあったギャラリーに持っていき、初めての展示会をやらせてもらえることに。本当は1本1本の傘に思いがあって、手放したくない気持ちも強かったけど、作って売らなくては生活できないという切実さもありました。思いきって200枚お知らせのはがきを刷って、取り上げてもらいたい雑誌や置いてもらいたいショップなどに送っては、必死で電話しました。その展示に国立新美術館のミュージアムショップの方が見にきてくれて、「催事のスペースが2週間後に空いているけど、やってみますか?」って。もちろん「絶対やります!」と即答。ギャラリーに展示したものはほとんど売れてしまっていたので、期間中は毎日寝ずに作っては持っていきました。そこからは数年間、子育てと仕事でまわりも見えないくらい、ひたすら走り続けた気がします。

『Coci la elle コシラエル』の店がある清澄白河には、今から5年ほど前、いろは(娘)が小学校に入学する前にアトリエ兼住居として引っ越してきました。この「Coci la elle」という名前は、私が日傘作りを始めたときから心に決めていて、日本語の「こしらえる」からつけたものです。おばあちゃんがおにぎりを作ったり、縫い物をしたり、そんな手仕事を慈しむ気持ちを込めた名前。私も人の手でこしらえる温もりを大切にもの作りをしたい、初めて日傘を作ったときの気持ちを忘れないでやっていきたいと思っています。